信仰のもがき

麦わら間一髪。「無知」によって下さろうとする「祝福」は失われる 


DSC_0073自分の「無知」に嘆きたい瞬間がありました。

私が普段行っている業務に、ベテランの方がルーティンを教えてほしいと、こちらに研修しに来るようになりました。はじめ、それを聞いた時に、「あれ、なんでだろうな」と思いました。

私と以前一緒に働いていた女性の方がいたのですが、その人はかなり「裏の裏」まで考えて、疑心暗鬼するタイプでした。また、当時は私もその女性の方も仕事の面接に受かったものの「どちらかが残るか、残らないか」分からない期間でした。その女性は「もしかして私は落とされるんじゃないか」と心配していたし、社員証が早くつくられないだけでも「私を落とす気だ」と不安に思っていました。

私も当時はようやく内定をいただいた職場だったからこそ、こういう場面に立ってとても心配になりました。しかし私は持続的に神様に祈り、「御心ならば続けて働かせてください。またできるならば二人とも働かせてください」とお願いしました。その期間約1か月でした。

結局、私もその女性も落とされることはなくなりました。どちらかになる状況だったのを、神様が人を通して働きかけてくださって、どちらも残るようにしてくださったのです。本当に感謝しました。

しかし続けてその女性は何か事あるたびに、「もしかして私落とされるかも」と呟いていました。

私は神様から大きな祝福を受けたのにも関わらず、その女性から受けた心配症、「裏の裏」まで疑心暗鬼してしまう考えが、私の中にもあることに気が付きました。

今回の件も、もしかして、このベテランの方がこの仕事を覚えたら

・・・私、ついに『切られる』か!?

と、頭にもしゃもしゃといらない考えが浮かびました。すると不安と心配が押し寄せてきました。しかし、先生が何度も「感謝しなさい!喜びなさい!」と教えてくださったことを思い出して、自分の状況をもう一度振り返り、天の立場で自分を見て考えました。するとやはり「感謝」の言葉が絶えず出てきました。

その瞬間の沼地を抜けだしたら、あとは心配がなくなりました。

ところで、そのベテランの方に「研修は以前もされたんですか」とお聞きしたところ、その人は「自分は半分違う業務をしているんだけど、ここの業務も覚えて、もしお二人がいないときに『私が入ってフォローできるように』研修を受けに来ました」と言いました。

とても衝撃的でした。そして自分の無知を嘆きました。

神様が、そのように足りないところを補おうとして人を送ってくださったのに、自分は「もしかして自分の業務が奪われてしまうのではないか」なんて無駄な疑心暗鬼をしてしまったのです。悔い改めました。そして感謝しました。また、このような心配が瞬間も来ないくらい感謝し、喜び、もっと狂うくらいに(笑)神様を愛して生きようと思いました。

無知が本当に怖いし、くださろうとする祝福もみんな失うことになります。

知らないのに勝手に判断するのは、結局自分にとって害になることなのだともっと悟りました。

心から感謝して、もっと喜びで毎日を過ごしていきます(*^^)v

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]