ミコトバ

幸せを手にしてもどうして不幸せになって生きるのか・・・


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最近毎日、口癖のようの「感謝します!」という言葉が出てきますが、とてもいい言葉ですよね。

スポーツをするときにも、感謝を意識して声に出し合おう!とやってみましたが、うまくいっても「感謝します!」悪くなっても「感謝します!学びます!」と声に出すから、本当に気分が落ち込みませんでした。

感謝にはすべてを肯定的に向かわせる力があります!

発する人も、聞く人も気持ちがいいです。

逆に相手をけなしたり、ネガティブになる言葉は、発する人も聞く人も力が抜ける感覚がありませんか。

最近駅のホームで、奥さんと旦那さんが口論している場面に立ち会いました。子供がいる前で、旦那さんが「お前はうるさいんだよ」と奥さんをけなしていました。聞いてる私もとても嫌な気持になるほど、愛が感じられない言葉でした。にこにこと最初は我慢していた奥さんも、次第に言葉じりが強い語調で言い返すようになりました。子供たちはとても不安そうでした。

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。マタイによる福音書 7章 13節

狭い門から入れと聖書にありますが、感謝すること、肯定的な言葉を発することも、いまや「狭い門」のように感じられます。自分の心のなかで、肯定的な言葉、否定的な言葉、どちらが多いでしょうか。よ~く自分の心に耳を澄ましていると、自分の真実な声が聞こえてきます(笑)

逆に滅びの門は大きく、その道は広いとありますが、否定的な言葉、けなす言葉、愚痴、悪口は今や感謝の言葉、認める言葉、褒める言葉よりも多い気がします。自分に対しても、「よくやった自分」という言葉より、「何やってるんだ自分」という言葉のほうが多くないでしょうか。

自分に対する言葉は、結局相手に向かう言葉になります。感謝が身についている人は、どういう会話の隙間にも感謝を入れてきます(笑)が、感謝が足りない人は、足りない分だけその隙に、不満、愚痴、ネガティブが入りこみます。ものすごく損な気持ちになりますね・・・。

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鄭明析(チョンミョンソク)先生がおっしゃいました。

喜びと感謝が消えるから、困苦と心配と憂いが来て、覆ってしまう。

喜びと感謝が溢れたら、困苦と心配と憂いを覆ってしまう。」

どちらが多くあふれるかで、天国のような心と、地獄のような心が変わってくるのですね。どんなに最高の境遇、最高の権勢を得たとしても、心に喜びがなく、不満と不平に満ちた地獄のような心ならば何が嬉しく幸せでしょうか。

せっかく家庭を得て、子供も得て、幸せを手にしたのに、奥さんの「価値」を忘れて言葉でけなし、お互いに批判し合うならば、幸せな家庭とは呼べません。

幸せを手にしたのに、どうして不幸になりますか?

私たちに喜びと感謝が消えてしまったからです。

手に入れたものの「価値」を忘れてしまうから、そのように接します。だから神様が幸せになってほしいと願って与えた祝福も、無念な結果で終わってしまいます。本当に不思議なことです。

私たちも、本当によく点検しなければなりません。喜ぶべきところを悲しんではいませんか?自分の境遇と立場だけで見るのではなく、日本の立場だけで見るのではなく、世界の立場、はてまた天の立場にたって自分を俯瞰してみたとき、「自分ひとりの価値」の大きさが見えてくるのではないでしょうか。正しく価値を分かった時に、はじめて自分がどれほど幸せな人だったのか、分かるようになります。

大切な人の価値も、愛する人の価値も、自分がいる場所の価値も、もう一度振り返ってよく考えてみましょう・・・!そうしたら自然と喜びと感謝があふれてくるはずです(^v^)

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]