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赤レンガ倉庫、復活の歴史


東京都民でありながら横浜を担当している麦わらです!

最近、「復活祭」がありました。「イースター」とも呼ばれていますね。摂理でも復活祭のお祝いをしました。本日は横浜の日(ここだけ)、ということで、横浜にちなんだ「復活」を感じるネタを探してまいりました。

赤レンガ倉庫の歴史

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みなとみらいには数多くのシンボルがありますが、中でも歴史的な建造物である「赤レンガ倉庫」ってどんなところかご存知ですか?

今では近代都市として大きく栄えている横浜ですが、昔は小さい村「横浜村」と呼ばれていました。そこにペリーさん御一行を乗せた黒船が来航し、海外との貿易が横浜を中心にして始まることになりました。村と呼ばれるほど人口が少なかった横浜でしたが、開港後、人口はどんどん増えていきました。

赤レンガ倉庫が誕生したのは1911年。

海外からの輸入手続きが済んでいない物資を一時的に保管する保税倉庫として赤レンガ倉庫はつくられました。倉庫内部はエレベーターや、防火扉など、当時における最新の技術を取り入れ、世界に誇る国の模範となる倉庫だったそうです。

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横浜市港湾局 公式サイトより

ところが、1923年9月に起こった関東大震災によって、倉庫は半壊。それによって倉庫は縮小され、内部の耐震性を高める工事がはじまりました。

さらに1945年、第二次世界大戦で日本はアメリカに敗戦したことによって、横浜湾の施設がアメリカに接収されてしまいました。そして赤レンガ倉庫は、軍事物資の補給基地となり、やがてアメリカの軍港湾司令部と変化するようになります。今まで保税倉庫として存在していましたが、まったく異なる用途として使われるようになりました。これには赤レンガ倉庫もびっくりだったでしょうね。

そして10年間続いた接収が終わって、再度、保税倉庫として使われるようになりました。が、20年も経つと状況が一変。海外輸送の「コンテナ化」が急速に進み、だんだんと倉庫の利用がなくなってきました。年間90.000tの利用があったところから、なんと2.000tに減り、倉庫の用途としては一旦終止符を打つことになりました。

ここまで見て、赤レンガ倉庫がいろんな変遷を経てきているのが分かりますね。まるで人間の一生を見ているかのように、山あり谷ありの歴史です。生きる中では、地震のような思ってもみないことがあるし、戦争のように、どうにもできない環境に置かれることがあります。コンテナ化が進んで、倉庫としては無用となった赤レンガ倉庫ですが、人生におけるどん底のような状態から、どのような復活を遂げるようになったのでしょうか。

赤レンガ倉庫、新しい復活

赤レンガ倉庫は、横浜市によって国から土地の権利を会得し、保存の方向で進めることになりました。そして保存に向けて大規模な改修工事がはじまりました。

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横浜赤レンガ倉庫の歴史 公式サイトより

そして1994年から1999年までの改修工事によって、鉄骨の整備、落書きの除去、屋根の改修などすべてに手をつけられました。写真を見るとすごいですよね。まったく価値なく放置されていた感じがします。しかし、「みなとみらい21計画」などの新たな事業の構想を受けて、現在のような、文化と商業施設が一体となった、賑わい豊かな横浜の観光スポットとへと復活することになったのです。

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まさか赤レンガ倉庫もこのようになるなんて、思ってもみなかったでしょうね。

赤レンガ倉庫もこのように復活したように、私たちも御言葉を聞くようになってから、自分の思っていた以上の人生へ復活しました。過程のなかでは山あり谷ありいろいろありましたが、その分自分自身が削られ、鍛えられ、新しい自分に変化するようになりました。
もっと詳しく知りたい方は、各公式サイトにアクセスくださいね!

横浜赤レンガ倉庫の歴史 http://www.yokohama-akarenga.jp/about/history/

横浜市港湾局 http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/

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